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原元美紀の女子アナワークショップ

これまでの活動記録

6月は「神戸連続児童殺傷事件 あの時、それから、いま」


「原元美紀の女子アナワークショップ」、今月のテーマは、今から20年前の6月28日に逮捕されたあの酒鬼薔薇聖斗に関連し、「神戸連続児童殺傷事件、あの時、それから、いま」を取り上げました。 講師は、所 太郎さん。 TVリポーター歴30年、現在AbemaTV「所太郎の現場5,000件!今だから言える真実」に出演されています。

14歳少年が起こしたこの事件は、あまりの衝撃に犯人逮捕だけでは収束せず、社会にも大きな影響を与えました。 そして、少年犯罪を語る新たな基準と記憶され、今なお強い影響力を及ぼしたり、新しい動きを見せています。 今回参加してくれた受講生たちは、25〜32歳。 (写真は掲載OKの方のみ) (今回特別に男性の参加もOKの回としました) この事件をリアルタイムでは知らないということで、事件発生時・犯人逮捕・社会の受け止め・少年法改正、そしてその後に続く動きと、時系列で学びました。 所さんには随所で、時代背景や「現場に立ったからこそ感じた」ことをお話いただきました。

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1997年5月27日、神戸市須磨区の中学校の正門で、切断された児童の頭部が見つかりました。 その口には、犯行声明文がくわえさせられていました。 「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ」 警察への挑戦状から始まったあの恐怖の日々。当時ニュースキャスターだった私は原稿を読む時の胸の苦しさをまだ覚えています。  事件現場となった街の様子や目撃情報に、犯人逮捕への期待や次の犯行への恐怖など、日本中が一喜一憂しながら目を向けていました。 整然と立ち並ぶ新興住宅地、 街の中心に在るこんもりと緑が繁るタンク山、 犯行現場へと続くチョコレート階段、 遺体の置かれた中学校正門、 犯行声明を出した駅前の郵便ポストなど、 今でも鮮明に覚えている方も多いでしょう。

当時現場取材をされた所さんは、 「街から子供の姿が消えた」 「怪しい大人を見かけたという目撃情報が連日報道された」 「犯行声明文が『宮崎勤連続幼女誘拐殺人事件』を思い起こさせる」、 なかには 「殺された土師淳君のお父さんに嫌がらせの手紙が届いた」 など、肌で感じた混乱ぶりを語ってくださいました。 そして、およそ一月後、唐突に行われた犯人逮捕の発表。 捜査本部の置かれた須磨署で緊急会見が開かれました。当時のニュース映像を見ると、一言一言区切る様に言葉が絞り出されています。 「被疑者は、神戸市須磨区居住の、中学三年生、A少年。 男性、14歳です」 記者たちの怒号が飛び交い、混乱した会見場が映し出されています。 犯人逮捕後は、報道が過熱し、雑誌「FOCUS」が加害少年の顔写真を掲載、少年の生い立ちも連日マスコミによって細かく暴かれました。 また、 「中学校はなにをしていたんだ」 「親の責任だ」 「新興住宅街の隙間が生んだ暗闇」 「中学生の『心の闇』」 など、少年Aを取り巻く環境へと論点が広がり始めました。 全国の子を持つ親たちは自身の子供は大丈夫かと不安になり、各地で『子育て論』が語られ、「少年Aも現代社会が生んだ被害者」という論調もあり、これには被害者ご遺族も大変な違和感を持ったと 手記に書かれています。

当時の空気を所さんは「説明がつかないから、『心の闇』と言う言葉に落とし込んでいた」と感じていたそうです。 そして、犯人逮捕の安堵の暇もなく、次の問題が浮かび上がってきました。 それは、法律で14歳の少年Aの罪を裁けないということでした。 少年Aは、土師淳君だけではなく、その年の2月には女児2人を殴打、3月にはハンマーで山下彩花ちゃん(10歳)を殺害、別の女児をナイフで刺すなど、他の犯行も犯していたことが明らかになりました。 いずれも動機は「人を殺してみたかった」です。 これほどの残虐な犯罪を犯しながらも、当時の少年法では大人と同じ様に裁判を受け、犯した罪の償いを受けさせられるのは16歳からとなっていました。 14歳のAは家庭裁判所で審判を受け(非公開)、少年法による『保護』対象となり、医療少年院での『治療』を受けることが決定されました。 当時の事件をまとめたニュースがこちらから見られます。 「NHKアーカイブス みのがしなつかし」 http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi…

この事件を機に、2001年、少年法が実に50年ぶりに改正され、現在では14歳から大人と同じ刑事罰が受けられるようになりました。 少年法は現在までに4度改正を重ね、どんどん厳罰化されてきています。 また、加害者に比べ被害者へのケアがまったく考慮されていない法律の問題点にも注目が集まり、 1999年「被害者等通知制度」、 2004年「犯罪被害者等基本法」が成立、 土師淳君のお父さんの守さんは犯罪被害者の声を届ける「全国犯罪被害者の会」の副代表幹事を務められています。 この事件は少年法の改正や被害者を支援する法律の成立にも大いに関係しているのですね。 2004年、事件から6年半後に、Aは21歳で仮退院します。 そして、2015年、突然手記『絶歌』を発表しました。「元少年A」という匿名で。 遺族、被害者へも無断のうちに。 印税はどうなるのか、遺族への賠償金として渡されるのかも不明なまま。 内容は、「死」にとりつかれる様になった心のうち、少年院退院後の生活について記述されており、謝罪とよいうよりも、自己表現の印象が強く、被害者ご遺族は再び強い憤りと悲しみに襲われました。 Aはその後もHPを開設したり、メルマガ配信開始したり(現在どちらも停止)、自身の文章や写真、絵などを表現する活動を始めます。 Aの被害者への裏切りと取れる行動で再び世間に存在を示したり、発表された作品のグロテスクさにには、「果たして更生できたのか」という疑問の声が上がりました。 また、作品発表に対しては憲法に保障される「表現の自由」に当たるのかという議論も行われました。 この事件の特異性はまだ有ります。 「酒鬼薔薇世代」と呼ばれる同年代の凶悪犯罪が目立って起きたことです。 ・秋葉原通り魔事件 ・西鉄バスジャック事件 ・西尾市女子高生ストーカー事件 など。 偶然同世代であるのでではなく、犯行動機として語っているのが、 「酒鬼薔薇を崇拝している」 「自分も人を殺してみたかった」 「17歳なら罪にならないから」 など、少年Aに影響を受けていることを認めています。 他の世代にもカリスマ、ダークヒーローとして、最近でもこの事件をルーツとする10代の犯行がニュースになっています。 2014年佐世保女子高生殺害事件 2014年名古屋大学女子学生タリウム事件 など。 今でも、この事件が終わっていないことを痛感させられます。 TVリポーター歴30年、現場取材5,000件の経験を持つ所さんは、こんな胸の内を語ってくれました。 「現場に足を運び、些細な違和感に気付き、一見関係のない様なことでもどこかで関連しているかもしれないと日々アンテナを磨くことが大切です。 時に悲しみに暮れる被害者の方にマイクを向けなければならない時もあります。 でも、そのどれもが、『二度とこんな悲劇が起きない様に』という気持ちで取材をさせていただいているんです」 参加した若いアナウンサーの皆さんは、この1日で様々なことを受け止めてくれたようです。 「事件の背景、奥行き、社会に投げかけた問題、現在進行形の課題、様々なことを知り、ようやくきちんと向き合うことができました。」 「ただ原稿を読むのではなく、自分の頭で考え、伝える気持ちで原稿を読めるように、日々学んでいきたいです。」 「ジャーナリズムの世界に身を置いているにもかかわらず、恥ずかしながら私はこれまで凶悪事件というものを直視できず、怖さと一時期の憤りだけで、表面しか見えていませんでした。 しかし、私たちの仕事は『二度とこういうことがあってはならない』からやっているのだという所さんの話に心が大きく動かされました。」 若手アナウンサーの皆さんは、きっとこれからもこの事件に関連するニュースを読んだり取材をする機会があることでしょう。 今回のワークショップが理解を深め、伝える気持ちをどのように持つべきかを考える機会になれば 嬉しいです。


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